見どころスポットMust-see spots
増村朴斎記念館
上越市板倉区(旧板倉町)にある県立有恒高校の前身、有恒学舎は、地元の増村朴斎が地域の教育振興のために私財を投じて建てたという歴史を持ち、会津八一が教鞭を取ったことでも知られている。板倉町の教育に尽くした人物に触れられる、貴重な資料館です。
■増村朴斎(ますむらぼくさい)
1868年(明治元年)、増村朴斎(本名度次)は針村(現板倉区針)で父 増村度弘、母 ちくの次男に生まれました。朴斎は針小学校に入学後、8歳で諏訪神社大幟の文字を書き、11歳で漢詩を作るなど村民から神童と称されました。
1885年(明治18年)、朴斎は再び上京し、羽峯の助言を受けて斯文黌(しぶんこう)に学びました。ここで郷土子弟を育てる夢を育み、とくに明六社の啓蒙思想家西村茂樹から有恒学舎教育の支柱となる道徳至上主義を学びました。
1895年(明治28年)、朴斎は新潟県から有恒学舎設立認可を受け、翌年4月10日針の浄覚寺を仮校舎に有恒学舎を開学しました。5月には勝海舟書「有恒学舎」の額が哲学館大学(現東洋大学)創立者井上円了から届けられ、7月29日に沖ノ宮校舎が完成して盛大な開校式が行われました。
■増村朴斎(ますむらぼくさい)
1868年(明治元年)、増村朴斎(本名度次)は針村(現板倉区針)で父 増村度弘、母 ちくの次男に生まれました。朴斎は針小学校に入学後、8歳で諏訪神社大幟の文字を書き、11歳で漢詩を作るなど村民から神童と称されました。
1885年(明治18年)、朴斎は再び上京し、羽峯の助言を受けて斯文黌(しぶんこう)に学びました。ここで郷土子弟を育てる夢を育み、とくに明六社の啓蒙思想家西村茂樹から有恒学舎教育の支柱となる道徳至上主義を学びました。
1895年(明治28年)、朴斎は新潟県から有恒学舎設立認可を受け、翌年4月10日針の浄覚寺を仮校舎に有恒学舎を開学しました。5月には勝海舟書「有恒学舎」の額が哲学館大学(現東洋大学)創立者井上円了から届けられ、7月29日に沖ノ宮校舎が完成して盛大な開校式が行われました。
施設概要
名称 | 増村朴斎記念館 |
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住所 | 〒944-0131 新潟県上越市板倉区針555−1 |
電話番号 | 0255-78-2325 |
交通アクセス | ■北陸道上越ICから車で約15分 ■JR新井駅から車で約5分 |
営業時間 | 9:00~16:00 |
定休日 | 月曜、11月~3月31日 |
料金 | 入館無料 |