特定非営利活動法人 板倉まちづくり振興会

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見どころスポットMust-see spots

焼山城址

焼山城は、信濃方面へと至る関田街道を監視するための重要な城であったと考えられます。
城主であったといわれている宮島若狭守吉房は上杉謙信・景勝に仕えました。景勝の移封にともない、宮島氏も会津・米沢へと移り住みましたが、家臣の丸山氏は宮島の地に戻り、宮島氏先祖の墓を守り続けました。
天保十二(1841)年、宮島氏子孫の貞剛が宮島の地を訪れて丸山氏子孫の八右衛門に会い、宮島・丸山の両氏は約200年ぶりに「再会」を果たしました。これを機に丸山八右衛門が建立した石碑などにより、当地と宮島氏の関係が現在に伝わっています。

正確な築城時期や城歴については不明ですが、地元では宮嶋若狭守吉房の居城と伝えられています。城域には空堀や馬道(物資輸送などのために馬が通れるよう造成された道)の跡などが残っています。本丸にある「宮嶋若狭守吉房之城」の石碑は、天保十四(1843)年に丸山八右衛門によって建立されました。

施設概要

住所 〒944-0118 新潟県上越市板倉区曽根田

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